日々当たり前のように使っているメートルやキログラムといった単位ですが、ほんの200年ほど前までは使っている国はほとんどなく、300年前になると存在すらしていませんでした。人類は正確な計量のために知恵を絞ってきましたが、それが現代の形に確立されたのはごくごく最近のことなのです。

ここでは様々な単位の由来や、メートル法(メートルとキログラムを基準とする単位系)がグローバルスタンダードとなるまでの歴史などについて紹介します。

INDEX
  1. 単位の由来とメートル法以前の計量
  2. メートル法は命がけの仕事から生まれた
  3. 日本にメートル法が浸透するまで
  4. まとめ

単位の由来とメートル法以前の計量

天秤

現代の日本で主に使われているのはメートルやキログラムを基準とした単位です。しかし日本を含めた世界の歴史を紐解くと、実に様々な単位が基準として使われてきたことがわかります。以下ではその中から、今でも耳にする単位の由来をいくつか紹介してみましょう。

単位 由来
マイル 古代ローマの2歩分の長さに相当する「パッスス」という単位の1,000倍を表す「マイル パッスス」が由来。ローマを中心に建設された道には1マイルごとに標石が設置された(マイルストーン)。
ノット 英語の「knot(結び目)」に由来。速度系がない時代、船の速度は「28秒砂時計の砂が全て落ちる前に、等間隔のロープの結び目がいくつできたか」で計測していた。
インチ 男性の親指の幅(爪の付け根部分)に由来する。古代ローマにおいてはフィートの12分の1の長さが1インチとされていた。日本ではジーンズのウエストの大きさなどに使われている。
ヤード 紀元前6,000年ごろのメソポタミアで生まれた、肘から中指の先までの長さを示す「キュビット」の2倍が由来とされる。
他にも説があり、アングロサクソン人のウェスト周りの長さであるとする説、イングランド王ヘンリー1世が自分の鼻先から親指までの距離としたという説などもある。イギリスやアメリカ国内、もしくはゴルフやアメリカンフットボールなどで用いられる。
フィート 古代ギリシア時代から現代に至るまで使用されている長さの単位。由来は足一つ分の長さを1フィートとしたことによる。
ポンド メソポタミア地方では大麦1粒の重さが「1グレーン」と決められていた。1ポンドは7,000グレーンに等しく、パンにして焼くと1日分になる量として定められた。
カラット ダイヤモンドの大きさ・重さをはかるために使う単位。語源はアラビア語のquirratもしくはギリシア語のkeration。これらはどちらも宝石の計量に使われた豆のことで、豆何粒分の重さかを示す単位がカラットになったと考えられている。
日本古来の長さの単位。8世紀末以降〜明治政府が基準を定めるまでは、京都で使われていた竹尺、大阪で使われていた鉄尺、伊能忠敬が使った折衷尺など、全国各地で様々な基準があった。
大量の銭を携帯するために銭を束ねる道具「銭貫」が語源。そのため一貫は銭貫で束ねられた銭1,000枚分の重さだったと考えられている。

こうして見てみると、多くの単位が正確性に欠けることがわかります。例えばマイルやインチのように人間の体を基準に長さを決めてしまうと、長さが人によって微妙に違ってきて当たり前です。

そのため当時の統治者たちは自国で統一した基準を定めようとしましたが、日本の尺に見られるように統治者ごとに違う基準が生まれてしまい、国家間や地域間の取引ではその都度換算する手間に煩わされたり、ひどい場合はトラブルになったりしていました。

現代人の目から見れば非効率極まりない状態ですが、当時の人たちは自分たちが使っている単位を使い続け、場合によっては新しく作っていきます。

結果1838年にスイスが行なった調査によると、フィートだけで37種類、当時のヨーロッパの一般的な長さの単位「エル」だけで68種類、液体の体積を計量する単位だけで70種類もあるという状況に陥っていました。

極端に言えば「これは1フィートだ」と言っても「37種類あるどのフィートだ?」という話を毎回しなければならないということです。これでは正確で効率的な計量など望むべくもありません。

先進的な地域であったはずのヨーロッパでさえ、18世紀末にフランスでメートル法が誕生し、それが19世紀後半に各国に普及するまでは、このような非効率的な計量に甘んじていたのです。

メートル法は命がけの仕事から生まれた

「バスティーユデイ」のプラカードを持つ男性とフランス国旗

非効率的な計量が当たり前の世界に一石を投じたのは、フランスの政治家タレーランでした。時はフランス革命の真っ只中。そのような激動の時代にタレーランは、誰もが納得して使える計量の基準が必要だと提案し、どこの国にも属さない普遍的な基準を求めようと呼びかけました。

そうして最初に決まったのが1メートル=地球の赤道〜北極までの距離の1,000万分の1という定義でした。

しかし問題は正確な地球の大きさを誰も知らないということでした。そのため具体的な1メートルの基準がわからないので、定義に従った計量もできなかったのです。そこで2人の天文学者が立ち上がります。

彼らの名前はドゥランブルとメシェン。2人は6年もの時間を費やしてバルセロナ(今のスペイン)からダンケルク(今のフランス)の距離を実際に測量し、その数値をもとに地球の大きさを求め、ようやく1メートルを定義づけることに成功したのです。フランス革命期の最中、国境を超えた大事業でした。

こうした文字通り命がけの仕事の結果として、1799年には1メートルと1キログラムの原器がパリの国立公文書館に収蔵され、現代へとつながるメートル法が誕生したのです。

なお1キログラムはもともと「1グラム=最大密度にある蒸留水1ミリリットルの質量」の1,000倍でしたが、作られた原器が1キログラムの質量を示すものだったため、1キログラムが重さの基準とされました。

日本にメートル法が浸透するまで

日本国旗

1875年このメートル法は各国の合意を得てメートル条約として成立します。日本は1885年に同条約に加盟しています。

しかしこの加盟を受けて1891年に制定した計量制度度量衡法は、尺や貫といった古来の日本の単位を基本とし、メートル法に基づく単位も適法とするというものでした。つまり依然として国内の単位をメインとするルールだったのです。

実はこの流れは一般の商取引では60年前まで、土地建物の取引では50年前まで続いていました。年表で流れを追うと以下のようになります。

年号 度量衡法の改正内容
(1951年以降は計量法に改名)
1921年 メートル法を基本とするが、世間ではまだまだ尺貫法が中心であった。
1959年 一般の商取引でメートル法以外を用いると処罰の対象とされるようになった。
1966年 土地建物の商取引でもメートル法以外を用いると処罰の対象とされるようになった。

わざわざ処罰の対象にしなければならないということは、まだまだ尺貫法を使う人が多かったということを指しています。すなわち日本は高度経済成長期(1955〜1973年)の真っ只中でも、まだ古い単位を使っていたのです。

まとめ

こうして歴史を振り返ってみると、今では当たり前の共通単位として使っているメートルやキログラムといった単位は、ごく最近になってようやくグローバルスタンダードとして浸透したということがわかります。

しかしそれでも正確に1メートル、1キログラムを計量するのは簡単ではありません。なぜならトラックスケールを始め、計量器というものは時間とともに精度が落ちるものだからです。そのためにもはかりを扱ううえでとっても大切な検定と検査の話で触れたような制度やルールを守る必要があるのです。

ダイトクは先人が築いてきた歴史ある正確な計量を守るため、ユーザー様に対する検定・検査サービスや、妥協のない自社製品の提供に尽力しています。

長い歴史の中で自分たちの仕事を見直すと、身の引き締まる思いがします!